日記文中における個別キーワード毎の要不要

自分の場合、「読み手に対して参照させる価値があるかどうか」のみで判断している。逆方向については自らの管理外(というのは詭弁で実際は「キーワードの編集」で管理出来る)ゆえどうでも良い。ポインタとしての価値なくば括弧で挟むまでで、後付けマークアップ程度の他愛もない労力としか感じない。それゆえ、例えば『通勤』のような「当たり障りのないキーワード」についての要不要を論じること自体、道具を道具として用いている自分にとっては不要である。