はてな評議会

オレはまあ、何にしても割り切るときはすっぱり割り切る人なので、多数決に文句はない。期間中ならば、賛否どちらにでも乗り換えられるというのが面白い特徴だと思った。

「評議会」だとか「市民」だとかは、ネタとして突っ込む程度が華なんじゃないかなあ。もの言わぬ場合でも、賛成・反対の意思を持つということは当然あるのだし、それを伺うことは総意を知ることとしてとても大事だと思う。議論は、個対個が大勢に影響を与えようとするものであるが、それと同時に傍観者との溝を深くし、総意を伺う機会を失いがちだ。評議会には、傍観者の立場を保障しつつ総意も伺えるという仕組みとなることを「一市民」として期待したい。それゆえに、票を投ずることが揉め事に関わると見なすような見解に対して、オレは意義を感じない。


「一市民」という言葉を使ったのはまあ、オレは誇りを持ってそうなんだ! とか言いたいのではなく、定義されたものとしてそれ以上でも以下でもないということです。どうでもいいか。